チャクリー宮殿 歴史 タイ旅行
2008年06月15日
チャクリー宮殿 歴史 タイ旅行
チャクリー宮殿は、ラマ一世が、前王朝のトンプリーのタクシン王をついで、あらたに起こしたチャクリー王朝のシンボルです。このチャクリー王朝は現在まで続いています。ただし、王宮に王様は住んでいません。
さて、このチャクリー王朝、ビルマに滅ぼされたアユタヤ王朝の文化を踏襲しています。チャクリー宮殿そのものも、アユタヤの王宮に倣って作られています。
現在のバンコクの王宮の正門は、ウイセートチャイシーという名前の門ですが、ナ・プラ・ラーン通りに面していて、その門を入ると、広い芝生があり、その正面奥の真ん中にたたずんでいるのが、チャクリー宮殿になります。チャクリー宮殿は、正式にはチャクリー・マハ・プラサート宮殿といいます。
チャクリー宮殿は、ピンクの大理石で造られている、西洋風の洋館です。ファサードは、ビクトリア調ですが、その上に、タイの寺院でよく見かける尖塔が載っています。いわば、タイ建築と西洋建築をミックスした、建物になています。
このチャクリー宮殿、作ったのはラマ5世。ラマ5世は、ちょうどチャクリー王朝誕生100周年の記念にこの宮殿を建てるよう命じました。折しも19世紀の後半、欧米の列強がこぞってアジアに押し寄せてきた時期です。タイは、シャムの時代から、積極的に貿易外交を推進しており、幸い植民地化することはありませんでした。チャクリー宮殿のひとつにも歴史が色濃く反映しています。
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カテゴリ: 海外旅行情報
チャクリー宮殿 王宮 タイ旅行
2008年06月15日
チャクリー宮殿 王宮 タイ旅行
チャクリー宮殿は、王宮の中にありますが、ビザンチン様式にタイの伝統建築がミックスされた、ユニークな建設物になっています。チャクリー宮殿は3階建になっていて、1階は、警備兵の詰め所、レセプションホール、2階は、謁見の間、3階は、歴代の王家の遺骨が安置されています。
ラマ一世が興したチャクリー王朝の100年を記念してチャクリー宮殿を建てたのがラマ5世。ラマ5世の治世は、ちょうど西欧諸国がこぞってアジアに進出し、植民地化しようと躍起になっていいた時期です。
タイは、いまだかってどこの国の支配下になったことがないことを誇りにしています。西欧の列強が東南アジアをおそったとき、ベトナムがフランスに併合されるのを尻目に、タイは、さっさとイギリスと条約を結んでいます。
日本が東南アジアに進出した時も、タイは独立国でした。あくまでも平和的解決で、危機を乗り越えてきたタイのしなやかな外交政策には感心するばかりです。
このラマ5世の建てた王宮にビザンチン様式が入っているのは、間違いなく西洋の列強を意識しています。ラマ5世は、当初、ルネサンス様式の建築を命じたそうです。
ところが、建設を進めていくうちに気が変わったのか、タイの伝統様式も組み入れるようになって、現在のユニークな折衷型の建物になりました。
部屋には豪華なシャンデリアがぶら下がっているかと思えば、王が座る玉座は、タイ伝統のもの。やはり、タイ人の誇りがあちこちに残っています。
現在の国王は王宮には住んでいません。このチャクリー宮殿は、もっぱら外国の要人の迎賓館(げいひんかん)として使用されています。
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