タイの世界遺産 タイ旅行
2008年06月15日
タイの世界遺産 タイ旅行
タイには、世界遺産としてユネスコに登録されているところが合計5か所あります。
文化遺産として世界遺産登録されたところは、1991年に、スコタイ、同1991年に、アユタヤ、翌1992円にバン・チアン遺跡、そして、自然遺産としての登録は、1991年のトゥンヤイーファイ・カ・ケン野生生物保護区と2005年に登録されたドンパヤーイェンーカオヤイ森林地帯があります。
スコタイは、タイ国の最初の王朝でスコータイで起こりました。バンコクの北部にあるスコタイは、農業に恵まれ国王、ラームカムヘーンが、「水に魚あり、田に米あり」とうたったほど豊かな国でしたが、14世紀に陰りができ、南部にアユタヤ国が興ります。
アユタヤは、スコタイを併合し、今のタイ国の基盤を作りました。そのアユタヤの後、18世紀にトンブリー王朝、チャクリー王朝の時代のあと、19世紀には、英国と通商条約をいち早く結んだので、他の東南アジア諸国と違い、独立を獲得したのです。
タイの人たちは、いまでも、どこの植民地にもなったことがない、ということは誇りにしているほどです。
スコタイもアユタヤも、タイの歴史を語る上で欠かせない文化をもった遺跡です。となると、世界遺産に登録されるのも当たり前ですね。
スコタイで、世界遺産に指定されているのは、スコタイ歴史公園、シーサッチャナーライ歴史公園、カムペーンペット歴史公園の3か所、アユタヤで、世界遺産に登録されているのは、王宮、ワット・プラシーサンペット、ウィハーン・プラモンコンボーピット、ワット・ウォーラチェーターラーム、ワット・ローカヤスター、ワット・ラーチャブーラナ、ワット・マハータート、ワット・プララーム、ワット・ウボーソットの9か所、アユタヤ・スコタイともに、失われた王朝なので、栄華のかけらもなくわびしさがただよいます。
特にアユタヤは、ビルマに滅ぼされただけあって、悲しいものがありますが、アユタヤには、昔山田長政がタイをシャムといってたころの日本人村もあって、なかなか見どころは多くなっています。
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ワット・アルン 暁の寺 タイ旅行
2008年06月15日
ワット・アルン 暁の寺 タイ旅行
ワット・アルンは、暁の寺と言われています。かつて天才作家三島由紀夫が、このワットアルンを題材に「暁の寺」という作品を書き上げました。
彼は、その作品の中で、「塔の重層感、重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に充ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向かって細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである」と表現していますが、それは、ワットアルンのシンボル、五基の仏塔で、真中の仏塔は75Mにもなります。
ワットアルンは、もともとアユタヤ王朝の際、建設されましたが、ビルマに滅ぼされたのち、トンプリー王朝のタクシンによって、再興されて、トンプリー王朝の守護寺になりました。
その後、ラマ一世が、チャクリー王朝を興し、ワット・アルンにあったエメラルド仏像をワット・プラ・ケオに移し、さらにラマ一世の後裔のラマ二世、三世がワット・アルンを改修、とくにラマ三世は、16Mの仏塔を75Mにまで広げ、現在の形に至っています。
ワット・アルンの建築様式はヒンズー教の雰囲気が漂っています。大仏塔のてっぺんは、バラモンのシバ神のシンボルのリンガ形を作っており、その表面は、チャイナがびっしり鮮やかな色彩で装飾されています。
他にも、ヒンズーが影響しているところがあちらこちらに見てとれます。エラワンの像がそうです。エラワンの像はインドラ神の乗り物でした。また、インドの古典をタイ式にアレンジした物語、ラーマキエンの主人公たちも飾られています。
ワット・アルンへは、No.57、No.83の定期バスで行けますが、渋滞が嫌な方は、チャオプラヤー川対岸のThe Tienから渡し舟もでています。
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王宮 タイ旅行
2008年06月15日
王宮 タイ旅行
タイ旅行の王宮は、バンコク市内の観光コースとして定番です。
ここを訪問する時に気をつけなければいけないのが服装です。特に若い人ですが、ジーンズはあまり好ましくはないのですがだめではありません。だめなのはダメージジーンズです。
特に破れたジーンズは、不可、サンダルもやめておいた方がいいようです。王宮に敬意を表する服装を用意していきましょう。
バンコクのチャオプラヤー川にある王宮は、約20万平米の広大な敷地を真白な壁が囲っています。その中に、宮殿と、その守護寺であるワット・プラ・ケオがあります。
ラマ1世がチャクリー王朝をこの地で興し、その際、建設された王宮は、後裔によって幾度となく手を加えられて現在の形になっています。
現在のタイ国王はここには住んでいませんが、要人の迎賓館として、また観光スポットとして訪れることができます。
ラマ一世がこの地に遷都する前、都は、チャオプラヤー川の西岸にありました。トンプリー王朝といって、守護寺は暁の寺として有名なワット・アレンでしたが、チャオプラヤー川の西岸は、常にビルマからの脅威にされされていたので、ラマ一世は、東岸に移したのです。
ビルマといえば、かつてアユタヤ王朝を滅ぼした国でした。
チャオプラヤー川という自然の要塞を得たタイ国民はこの都のことを天使の都(クルンテープ)と呼ぶようになりました。
正式には、クルンテープ・マハーナコーン・アモーン・ラタナコーシン・マヒンタラーユタヤー・マハーディロックポップ・ノッパラッタナ・ラーチャターニー・ブリーロム・ウドム・ラーチャニウェート・マハーサターン・アモーンビーマン・アワターンサティト・サッカタットティヤ・ウィサヌカム・プラシットというのが、いまのバンコクの名前です。
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