アユタヤのタグを付けられた記事一覧 | ワッツニュ~?

チャクリー宮殿 歴史 タイ旅行

チャクリー宮殿 歴史 タイ旅行

チャクリー宮殿は、ラマ一世が、前王朝のトンプリーのタクシン王をついで、あらたに起こしたチャクリー王朝のシンボルです。このチャクリー王朝は現在まで続いています。ただし、王宮に王様は住んでいません。

さて、このチャクリー王朝、ビルマに滅ぼされたアユタヤ王朝の文化を踏襲しています。チャクリー宮殿そのものも、アユタヤの王宮に倣って作られています。

現在のバンコクの王宮の正門は、ウイセートチャイシーという名前の門ですが、ナ・プラ・ラーン通りに面していて、その門を入ると、広い芝生があり、その正面奥の真ん中にたたずんでいるのが、チャクリー宮殿になります。チャクリー宮殿は、正式にはチャクリー・マハ・プラサート宮殿といいます。

チャクリー宮殿は、ピンクの大理石で造られている、西洋風の洋館です。ファサードは、ビクトリア調ですが、その上に、タイの寺院でよく見かける尖塔が載っています。いわば、タイ建築と西洋建築をミックスした、建物になています。

このチャクリー宮殿、作ったのはラマ5世。ラマ5世は、ちょうどチャクリー王朝誕生100周年の記念にこの宮殿を建てるよう命じました。折しも19世紀の後半、欧米の列強がこぞってアジアに押し寄せてきた時期です。タイは、シャムの時代から、積極的に貿易外交を推進しており、幸い植民地化することはありませんでした。チャクリー宮殿のひとつにも歴史が色濃く反映しています。

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アユタヤ タイ旅行

アユタヤ タイ旅行

アユタヤは、バンコクから大体80キロ北上したところにがある町です。アユタヤは、世界遺産「古都アユタヤ」があることでよく知られています。タイの始まりは13世紀にスコタイ王朝が興ったのですが、そのスコタイ王朝に続くのがアユタヤ王朝でした。

14世紀の王ウートンが、初代のキングです。アユタヤは、チャオプラヤー川、バサック川、ムアン運河、ロップリー川などで囲まれているため島のような地形になっています。

水に恵まれたアユタヤ王朝は繁栄し、15世紀ころには、現カンボジアのアンコール王朝との貿易を皮切りに、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリス、フランスとも積極的に交流しました。そのころは、タイではなく、シャムといっていました。このシャムという地名は、いまでもバンコク市内に、「サイアム」という名前で残っています。

シャムの王を映画にしたのが、「王様と私」でした。初代王様がユル・ブリンナー、家庭教師がデボラ・カー、リメイク版がチョウ・ユンファとジョディ・フォスター。15世紀には、国際都市としてのシャムは有名だったのです。外国ばかりではありません。日本の山田長政がシャムに日本人村を作ったのもこのころで、いまでも遺跡として残っています。

繁栄を誇ったアユタヤ王朝も18世紀になってビルマの侵入で滅ぼされました。その後王朝はバンコクで復興し、現在も続いています。

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ワット・プラマハート アユタヤ タイ旅行

ワット・プラマハート アユタヤ タイ旅行

ワット・プラマハートは、1373年に建てられたお寺です。アユタヤ王朝のボーロマラーチャー1世の名で建立されました。アユタヤ王朝の栄華を誇っていたころは、塔の頂上は金色に輝く、仏舎利をおさめた名刹です。アユタヤ朝が、ビルマ軍によって破壊、遺跡と化しています。

ワット・プラマートに行くには、アユタヤの駅から、トゥクトゥクなどの乗り物で5分程度です。バンコクからの観光バスでは必ずとまる観光スポットです。

頭のない仏像や、木の根からのぞいている仏像などがあって、ちょっと物悲しいものがあります。

タイ政府はアユタヤの再興を考え、実際に文芸省芸術局が動き出したのは、1950年代で、アユタヤの発掘調査をまず考えました。発掘によって発見された、財宝の一部を売却し、その資金で、チャオ・サン・プラヤー国立博物館を建設しました。

チャオ・サン・プラヤー国立博物館には、ワット・プラマハーやワット・ラチャブラナなどの遺跡から発掘された貴重な遺品が展示されています。1号館には、装飾品が、2号館には仏像が展示してあります。

チャオ・サン・プラヤー国立博物館まで行くには、やはり、アユタヤの駅から、トゥクトゥクで10分ほどで行けます。

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